買ったまま放置していたPSVITAのゲームをプレイしていた。
ソフト名:地獄の軍団
~発売日:2011.12.17 ~
ゴブリンを操作して魔人を狩るアクションゲームである。
このゲームを続けていても、同じことを繰り返すだけだろうなあ感がすごいので、すぐにやめてしまった。ひとつのステージの、そのボスに至るまでのひとつずつの部屋でも、繰り返し同じ敵が出てきて、倒す→再出現を繰り返さなければならない。労役感や徒労感がひとしおであった。昔のゲームはこういう感じだったなあ、というのを思い返すのに最適なゲームであった。今のゲームはこういう、水増し感がある作りをしていない気がする。そんなことをすれば、すぐにプレイヤーは離れていくから、であろう。
イース セルセタの樹海
~日本ファルコムの人気アクションRPG「イース」シリーズの第4作目(2012年発売)~
アクションRPGであるが、作りが全体的に昔のゲームっぽくて、ある程度はやったのち、やめてしまった。面白い部分はあるのだが、その密度が薄い、という感じである。たとえば、ボタンを連打していれば消滅していく敵が無限に沸いて邪魔をしてくる部分だ。あるいは、フィールドを移動するためにワープ移動石を乗り換える必要があったり、落とし物を換金すべく、いちいち道具屋に行かなければならないこと、そのたびにロード時間をくらったりする部分である。それらすべてが、突き詰めて考えると、無意味で無駄な時間ではないのか、と感じてしまうのである。俺は今、楽しんでゲームをやっているのか、ゲームを楽しむためにゲームの中で作業をやらされているのか、わからなくなるタイミングが多いのである。そうして、ゲームが強要する作業性というものに対して自分が厳しくなっていることに気づく。まあ、当たり前である。そんなことをしていれば、人生はあっという間に終わってしまうからだ。時間というリソースの価値が高まりすぎているのかもしれない。
ザ・ロストチャイルド
~角川ゲームスより2017年8月26日に発売されたゲームソフト ~
女神転生のようなRPGで面白かった。悪くはない。が、最終ダンジョン付近で挫折してしまった。序盤~中盤はそれほど文句はないのだが、終盤にかけて、飽きてしまったからである。モンスターを強化する物資が不足するため使役するモンスターを鞍替えしたり、世代交代的なムーブをすることが実質不可能であること、および、ダンジョン自体が長くて、世界樹の迷宮のような強敵と戦う要素もないので目新しさに欠けていて、システム全般に飽きてしまったことなどが原因ではないか、と自己分析している。基本的に同じことを繰り返すだけ、というウィザードリィ系ゲームに対する俺の限界点がここにあるのだろう。
全体的な傾向として、最近の俺がSTEAMでやっているゲームよりも、これらの昔のゲーム(3DS・VITA時代のゲーム)は、面白さの密度が低い、面白さの変化幅が少ない、とは感じた。そうして、ゲームの作り方そのものが変わっているのではないか、と考えた。
そういったことをChatGPTに質問していたら、今のゲームはプレイヤーを尊重している、と言った。その後、ごちゃごちゃ抜かしたことを、要約すれば、
「これはゲームだけに限った話ではない。人の可処分時間の奪い合い戦争における一端なのだ。人類に暇な時間はなくなった。スマホがそうした。目的に沿わない無駄や非効率は、ユーザーから忌避されるようになった。そういう時代なのだ」
確かに、そうなのかもしれない。
振り返ってみれば、俺自身のなかでさえハードルは上がっていることに気づく。ポーカーの最低ベッド額のようなものが高くなっているのだ。移動コマンドや脱出コマンドがないRPGは面倒だし、頻繁なロードに毎10秒かかるゲームは、やろうとは思えない。プロセスそのものに意味をもっていない作業をゲーム中で繰り返さなければならないことは苦痛である。
昔、ゲームは暇なときにやるものだった。だから、同じゲームを同じように繰り返すこともよくあった。それしか、やることがなかったので、しかたない。それが無駄だったとは思わないし、ほかのことをやっていたら、と後悔することもない。
問題は今だ。俺はもう、自分の人生というチップを、あえてゲームに賭ける状況になってしまった、ということを、きちんと念頭においておかなければならないのだろう。あえて、そのゲームをやるかどうか、続けるかどうかを判断していかなければならない、ということだ。結局のところ、ゲームを楽しむ(リターンを得る)には、ゲームをやらない(コスト負けの)判断をしなければならない。そういう意味では、たとえ、ゲームであっても、楽しみ方を知らないと、なんか、(ほかの娯楽にくらべて)面白くないな、で終わってしまう人もいるかもしれない、なんてことを考えたりしていた。