ゲーム批評ブログ

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最強でんでん というゲーム

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 最近、やっている。なかなか見所が多いゲームである。作り込みのレベルがすごいというか、教養を感じるというか。毎日の暇つぶしにちょうどいいゲームである。

 しかし、ヒトはなぜ、ソシャゲを欲するのか。客観的にみれば、ソシャゲは、ただただ、むなしいだけなのに。現実と結びつくことは決してありえない電子的な虚飾が、サービス終了まで連綿と続いていくだけの無意味な事象でしかないのに。なんでなんだろう。なればこそ、飽きて、疎ましさが勝れば、すぐにでもログインしなくなる。そうして、いつ永眠してもおかしくはないアカウント上の資源の収集に、どうして今、一喜一憂しなくてはいけないんだろうか。やったからと言って、人生においては一ミリのバタフライ的なエフェクトさえ起こさないデイクエストを達成する必要なんてどこにあるっていうんだろう。あるわけないだろう。そんなこと。

 そう。そうなんだよ。だけど、ひるがえってみれば、すなわち、俺たち、凡人の人生だって、そんなもんじゃないかなってことなんだよ。この広大な現実世界に対して、一体何をできるんだって。何が変えられるんだって、思うことばかりで、目の前にあることすべては、大抵が、どうだっていい些末なことの積み重ねばかり。俺たちは結局無力なんだよな。ウクライナやガザで今、起きていることを知ったり、知ることさえかなわぬであろう多くの悲哀に満ちた現実世界の惨状を前にしても、ただただ、手を合わせるだけで、何もできずに人生を終えていくだけの存在じゃないか、と。

 それでも、実際そうなんだろうけど、だけど、それで終わらせるわけにはいかない。あらがわなければならない。諦めたらそこで試合終了ですよ。俺は世の中全体を構成する砂粒のひとつ、一要素でしかないんだけれども、その一要素として、自分が望むような世の中にしてほしい、と願い、近づけるための意志を持たなければならないわけだ。気持ちがなければ何事もなしえない。努力をしなければならないんだ。アルコールや麻薬に頼るわけでもなく、自分自身を鼓舞し、克己しなければならないわけだ。たとえ、無理で無謀な戦いだと頭で分かっていたって、取り組み続ける姿勢をとり続けなくちゃならないんだ。

 そのために、ソシャゲがあるわけだ!!

 ソシャゲは現実世界の概念的なメタファーなんだよ!

 そりゃあ上には上がいて、下には下がいる。自分が居ても居なくても、何一つ変わらない。すべてが筋書通りの世界だ。やればやっただけの何かは得られるが、道は果てしなく、収穫物はより少ない。けれども、そうやって、コツコツ、シコシコ、その概念的なメタファーにおいて、勤勉に、物語性に則って、与えられた役割を、善を為していくことで、自分という人間を自分でだましだまし生きていく、生き抜いていく力を得るわけだ。そうやって現実にも、うまずたゆまず、付き合っていくしかないんだ、と自分を納得させる手助けをしてもらうわけだ。

 つまるところ、ヒトが宗教に求めていた、共感ボックス的な帰属感、物語性、日課、タスクなんかを与えてくれる物がソシャゲってことなんじゃないのかな。

 まとめるとfireHD10 plusでプレイしてますが動作は快調ですってこと。課金はしなくても楽しめるゲームです。